実は「親離れ」の歌だった!?~『Let It Go ありのままで』に隠された意味

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今回のテーマ: アナと雪の女王 Frozen (2013)
※日本版は2014年公開
 

2014年3月に公開されるやいなや、日本でも驚異的なペースで大ヒットしたディズニー映画「アナと雪の女王(原題 “Frozen”)」。その勢いは大晦日の紅白歌合戦におけるエルサ役オリジナルキャストのイディナ・メンゼルと、日本語版アナの神田沙也加の共演まで衰えることもなく、2014年に最も話題をかっさらったエンターテイメント作品といって間違いありません。

また商業的に成功しただけでなく、様々な評論家やレビュアーからも高い評価を受けたことを忘れてはなりません。ディズニーの新時代を切り拓いた、大傑作映画であることは間違いないでしょう。

ただ、絶賛している映画評論のなかでも、音楽に特化して深掘りしたものはそれほどないのが現状です。これだけ多くの人が目にし、多くの人によって語られている映画であっても、まだまだ読み解かれていない魅力が沢山あるのです。

そこで今後、何回かに分けて「アナと雪の女王」を音楽的な側面から改めて分析していきたいと思います。分析するとどんなことが見えてくるのか? 私が「アナ雪」を音楽的に分析しようと思うきっかけとなった『Let It Go ありのままで』(以後、原題のLet It Goと表記します。)の読み解きを通して、お伝えしようと思います。

1.『Let It Go』について

Idina_Menzel_Defense.gov_Crop(※以下ネタバレ有り)オリジナルはイディナ・メンゼル、日本語版では松たか子の歌唱により、世界的大ヒットとなったLet It Go。劇中では、前半(正確には三部構成の中の第1部)のクライマックスを飾る楽曲だ。

物語の構造上は、仲の良い姉妹の象徴としての『雪だるまつくろう Do You Want to Build a Snowman?』がメインテーマになってしかるべきにも関わらず(※この点の解説は、別の回に譲ります)、ロペス夫妻により作曲されたLet It Goが、あまりにも素晴らしかったため、ストーリーが変更されていったという経緯があるようだ(※詳細は、RHYMESTER 宇多丸氏の評論をご参照あれ)。映画全体における、この曲が果たしている役割・立ち位置は最終的にどのようなものとなっているのか? それを読み解いていくことにしよう。

2. イントロ(前奏)の旋律に隠された意味!

Let It Goのイントロは、ピアノによる寂しげな旋律ではじまる。この旋律が重要な意味をもつので、パッと思い出せない方は下記の動画でご確認あれ。 今や世界中の人々がこの数小説で瞬時にLet It Goだと分かるのではないだろうか。シンプルでありながら何気なく印象に残るイントロであるのだが、実はこの旋律、劇中で先に登場した旋律を、変形させたもの。しかもLet It Goと並ぶ、アナ雪の代表曲である『雪だるまつくろう』のなかに、2度も登場しているのである。

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マイルスの音楽を分析するということ~「マイルス研究1」

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1. 偉大なるマイルスマニアを追悼する

2015年1月28日、中山康樹氏が死んだ。元スイングジャーナル編集長、幾多のマイルス・デイヴィス関連書籍の翻訳や執筆で知られる人物だ(※没後出版されたもののひとつに、マイルス・デイヴィス自伝の改訂版がある)。享年62歳。まさか自分がマイルス(享年65歳)よりも若く亡くなるなんて病魔が襲うまで考えもしなかったのではなかろうか。

listen-to-miles-v8彼のこなしてきた仕事のなかで、最も偉大な業績、それは違法なブートレグ(海賊版)も含めた膨大すぎるマイルス・デイヴィスのディスコグラフィーをまとめた「マイルスを聴け!」だと断言して間違いない。最初のバージョン(1992年)では350ページほどの著作だったものが、バージョン8(2008年)では文庫本サイズでありながら「1100ページ以上」に達した。前人未到……いや、他の誰もこんなことは出来ないし、そもそもしないであろう。

その後は、マイルスの前半生のみに絞った新しいバージョン(2011年)が出されるも、そこで潰えてしまった。これまでの功績を讃えると共に、心よりご冥福を祈りたい。

2. マイルス・デイヴィス没後25年へ向けて

この記事を書いている9月28日はマイルスの命日。亡くなって24年が経つが、彼の音楽への理解は果たして深まっているのだろうか? 本国アメリカでは、博士論文クラスの研究が色々と出ているが、ここ日本においては前述した中山氏のほか、小川隆夫氏などのリアルタイムにマイルスと交流をもてた世代のあとは、ミュージシャン 菊地成孔氏&大谷能生氏による大著が目立つぐらいだ。しかし、菊地&大谷両氏による著書は実のところ、音楽的な分析は非常に限られているし、マイルスの音楽の魅力は伝わるかもしれないが、実際の音楽の謎解きにはそれほど寄与しないというのが、私の偽らざる正直な意見だ。

私は大学院時代にマイルス・デイヴィスを研究テーマに選んだ。その際に培った視点は、とりわけ電気楽器を導入した70年代の作品群を理解する上で大きな助けとなるものだと大きな自信を持っている。

しかし論文というものは、学者を主たる読者に設定している書き物であるため、このブログでは論文の形態のまま一般向けに公開するのではなく、これまで明らかにされてこなかった電化マイルスの話題を中心に、「ジャズのリスナー(聴衆)」や「ジャズミュージシャン」にとって新たな発見をもたらす情報を提供していきたい。

「評論家」でも「ジャーナリスト」でも「ミュージシャン」でもない立場から、マイルス・デイヴィスの音楽に興味を持っている皆様に新たな知見を提供もたらし、更には日本におけるジャズを記述していく活動がこれまでの「批評・評論」から、「分析・研究」へと新たな段階へ向かうことを願ってやまない。

次回予告

⇒ マイルス・デイヴィスと、音楽の形式(かたち)の問題(※10月22日以降に更新予定)


「ワインを楽しむように、クラシック音楽を楽しむ方法」~音楽美食道入門1

1.「文化」として理解しよう!

「食事もお酒も、そして音楽も、好きなように楽しめばいい」……という意見は、それはそれで正論なのであるけれど、我流で楽しむだけでは「ワイン通」にはなれないのもまた事実。(※いうまでもないことだが、ある種のワイン通が鼻につくのは、彼らが品なく自分の知識をひけらかすからであり、ワイン通であること自体がうざったいわけではない。)

ワインにしろ、映画にしろ、歌舞伎にしろ、ジャズにしろ、クラシック音楽にしろ、上辺の心地よさを楽しんでいるだけでは、表面部分しか味わえていないのに等しい。俗にいう本能的・感情的な「右脳」で捉えるだけでは、いくら感受性をオープンにしたところで得られる快感はたかが知れているのだ。なぜならば、これらはいずれも単なる「商品 product」ではなく、歴史的な文脈(コンテキスト)をもつ「文化 culture」だからである。

2.「文化」の正体

文化という日本語は「カルチャー culture」という語が翻訳されたものであるが、カルチャーの語源は「耕す cultivate」であるという。つまり、人の手が入っていない「自然 nature」そのままではなく、人工的なもの(=人によって耕されたもの)が「文化」なのだ。

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